神仏習合と若宮社
奈良時代、仏教の影響から神仏習合の思想が生まれ、神社の境内に神社と関連した神宮寺が造られるようになります。当神社でも神宮寺の大神寺(おおみわでら)が奈良時代に成立していたことが古文書からわかっています。現在の大直禰子(おおたたねこ)神社本殿は大神寺の遺構で、柱の一部に奈良時代のものが残っており、エンタシス形式の柱になっています。
この大神寺は鎌倉時代、弘安8年(1285年)に南都西大寺の叡尊上人(えいそんしょうにん)によって大規模な改修がなされ、寺名も大御輪寺(だいごりんじ)に改められました。中世には、真言密教で中心的な仏様の大日如来が三輪山の大物主大神や伊勢の天照大御神と同体であるという仏教側からの神道説が唱えられ「三輪流神道」として流布し、大御輪寺やもう一つの神宮寺である平等寺で発展継承されました。
また大御輪寺では、十一面観音菩薩立像がご本尊として、大直禰子命(おおたたねこのみこと)のご神像と併せ祀られていましたが、明治時代初めの神仏分離により仏像は桜井市の聖林寺に預けられました。この仏像は明治初期に来日した米国の美術研究者フェノロサによって美術的・文化財的に高く評価され、現在は天平仏の傑作として国宝に指定されています。